大文字山に登った

先週の火曜日の話になるのだけど、講義が終わったあとに友達と大文字山に登った。

僕は高いところに登るのが結構好きで、例えば今年の夏休みも実家から京都に帰る前日にひとりで近くの山に登った。
大文字山に登るのは実は2回目で、1回目は大学の学祭期間中にひとりで行った。
高いところから見下ろすと建物や車や人がすごく小さく見えて、普段の自分もその程度の大きさなのだと実感する。そうすると僕が日々やってることも実にちっぽけなものだと感じる。嬉しいこともしんどいこともちっぽけだ。ちっぽけだというのは別に悪い意味ではなくて、むしろその程度な存在なのだと自覚することで安心する。

大学に入ってから約9か月、ここに見える京都の街でいろいろやってきた。もっと振り返れば高校の時から京都を夢見てがんばったりしていた。しんどいこともあったけど、結局豆粒が足をばたつかせていたに過ぎなかった感じがする。いまもこの先も、高い視点から振り返ることがあれば多分同じことを感じるのだと思う。

良いことがあったとしても結局豆粒のことなのだし、ものすごく悪いことがあっても結局豆粒のことなのだから、浮かれすぎてもしょうがないし、がっかりしすぎてもしょうがない。


大文字山から京都市を見下ろしながら、そんなことを考えてた。